
シリーズ折り返しの第4戦SUGOで今季初優勝した中須賀選手

ST600でランキング3位となった佐藤選手
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2009年の全日本ロードレース選手権、「YSP・レーシング・チーム」からはJSB1000に中須賀克行選手、ST600に佐藤裕児選手が出走した。ふたりは全国YSPとファンの熱烈な声援のなか、いつも果敢かつキレのよい走りを見せてくれた。ニューYZF-R1を駆る中須賀選手は、優勝2回等の活躍でチャンピオンを獲得、全日本V2を達成した。またYZF-R6を駆って出場の佐藤選手は表彰台2回を含め全レースで入賞しランキング3位と活躍した。
「YSP・レーシング・チーム」はYSPが運営母体で、各地のYSP店主もしくは店長がレース毎に監督を務める「エリア監督制度」を2009年も実施。またチームマネージャーは1983~1985年と3年連続全日本500ccチャンピオンなどの実績をもつ平忠彦氏が努めライダーをサポート、中須賀選手のV2達成を支えた。

4月の開幕戦、応援のYSPとファンの皆様
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開幕は4月5日の筑波だった。V2を狙う中須賀は「スタートで前に出てレースをコントロールしたい」と抱負を語っていた。しかしスタート直後の第1ヘアピンで多重クラッシュに巻き込まれ転倒。赤旗提示でレース中断、その後再開されたが、中須賀は頭部を打ったため大事をとって出走をキャンセル。不運な幕開けとなった。第2戦は、国内唯一のニ輪&四輪併催レース=鈴鹿2&4。ここで中須賀は4位となり、シリーズの手ごたえを確認する。そして続く第3戦はシーズン初の表彰台となる3位を獲得、順調に新マシンでの戦闘力を高めていった。

シリーズ折り返しの第4戦SUGOで今季初優勝した中須賀選手
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第3戦から約3ヵ月のインターバルを置き、8月30日SUGOで第4戦が開催された。 この大会中須賀は今季初優勝を飾りランキング4位に浮上。ランクトップとの差を 9ポイントと詰め、一気にチャンピオン争いに加わる。この時点でランク上位6人が僅か10ポイントの中にひしめく激戦となっていた。
つづく第5戦岡山国際では、この上位陣が激戦を繰り広げ、中須賀は表彰台に一歩及ばず4位、ランキングも5位へ後退してしまう。

第6戦もてぎのグリッドに並ぶ中須賀選手
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ランキング争いから一歩遅れた中須賀だったが、10月末の第6戦もてぎ大会では 2位表彰台をもぎとり、ランクトップ酒井大作(スズキ)と9ポイント差でランキング2位とし、最終戦を迎える。
そして2週間後の11月1日迎えた最終戦は、鈴鹿の東コースを使用する2レース制として行われた。そのRace1、中須賀は最終ラップで逆転して優勝を飾る。この時点でランクトップとの差は、4ポイントに縮まる。そしてウエットとなったRace2は、ポイント争いのライバル酒井が転倒するなか、中須賀は雨の厳しい状況のなか力走し2位でチェッカー、逆転劇で2年連続自身2度目のJSBチャンピオンを決めたのだ。

最終戦Race2、ウエットを激しくせめ<強さ>を見せた中須賀選手
シリーズ戦を終えマネージャーの平忠彦氏はこう総括した。
「チーム全員が“優勝”の二文字だけをめざして戦った。その全員の気持ちでV2を掴みとったと思う。同時に今回はV2だけでなく、モータースポーツの“醍醐味”“感動”をファンの皆さまにお届けできた。中須賀選手はRace2で、ライバルの転倒を知りながら、リスクを恐れず最後まで勝利を目指して戦ったからだ。“速い”だけでなく“強い”ライダーになったことの証明で、中須賀選手にとってはさらなる成長の一歩になるはず。私たちに力をくださったファンの皆さまに感謝するとともに、また来年も同様に力をいただければと思う。本当にありがとうございました」

最終戦鈴鹿に駆けつけたYSP応援団のみなさん
なお、「YSP・レーシング・チーム」が使用した2009年型YZF-R1は今年、世界でも大活躍。スーパーバイク世界選手権ではベン・スピースが初のチャンピオンに輝き、世界耐久選手権シリーズではルマン24時間優勝を含めて活躍したヤマハオーストリアRTがチャンピオンとなった。YZF-R1は、デビューイヤーに三冠を達成。
全国のYSPの絆は、その一翼をしっかり支えたと言えるだろう。
ご声援ありがとうございました。


最終戦でチャンピオンを決定した 成田選手
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2009年、モトクロス全日本選手権IA1クラスには、「YSP Racing Team with NRT」からYZ450FMを駆る成田亮選手が出場した。成田にとって全日本3連覇を狙う2009年シーズン。順調に緒戦、2戦を消化したがトレーニング中に怪我を負い1大会を欠場。しかし第4戦から復帰すると、第5戦からは3大会連続で2ヒート制覇という破竹の反撃でポイント争いを展開、結局逆転でチャンピオンを決めた。
全10大会・20ヒート中、18ヒートに出走、うち11回のヒート優勝などの成績だった。

第2戦を走る成田選手。しかし続く第3戦を前に負傷してしまう
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2009年の開幕戦は、熊本はHSR九州で開催、成田は両ヒート2位の総合2位、順調なシーズンインとなった。続く第2戦、ヒート1を5位で終えると、ヒート2で優勝、総合2となり、その後は上昇気流と目されていた。しかし第3戦関東大会を4日後に控えた4月14日のトレーニング中、怪我を負いこの大会を欠場する。成田はこれで、ランキング2位からランキング7位まで後退、ランクトップの熱田高孝(スズキ)との差は32点に開いてしまったのだ。この時点では、「成田のV3は絶望的」とみる評論家も少なくなかった。

成田選手は怪我から僅か33日で復帰第4戦予選を走る、決勝では優勝/2位となる

成田選手は第5戦から3大会6ヒート連続優勝でランキング首位に肉薄する
しかし怪我から33日後のシリーズ第4戦中国大会に成田は登場。
怪我も癒えない体ながらヒート1で優勝、ヒート2はマシンにトラブルを抱えつつも2位をもぎ取り、シリーズ初の総合優勝。トップとのポイント差も28点に詰めた。
これで流れにのった成田は、第5戦SUGOから3大会連続全6ヒート優勝を飾り、ランキングトップ、熱田との差を僅か2ポイントまで縮める。
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約2カ月という長いインターバルをおいて行われた9月の第8戦近畿大会、成田は各ヒートを4/6位としてついにランキング単独トップに浮上。ただランキング上位グループは、僅か13ポイントの間に成田、増田一将(ホンダ)、熱田の3人がひしめく混戦へともつれ込んでいった。そうした中、成田は続く第9戦中国大会で総合優勝し(2位/優勝)、ランキング争いで一歩リード。その集中力を維持したまま迎えた最終戦は両ヒートで優勝。結局ライバル増田に20点の差をつけてのシリーズチャンピオンを決めた。
最終戦を終えてチームの鈴木智之監督は総括してくれた。「最終戦では両ヒート優勝と、最高のカタチでチャンピオン獲得でき、完璧すぎて言葉が出ない。これもファンのみなさんの応援、支援、そしてYSP・レーシング・チーム・ウィズ・NRTのチームのがんばりがあってこその結果。大きな怪我を負うというアクシデントに見舞われた後、もち直して獲得したチャンピオンだけに成田選手にとって今回のタイトル獲得はまた格別と思う。速さだけでなく強さを見せつけた年だった。あらためてこの1年、ヤマハライダーに応援して下さったみなさまに感謝したい」と。

第9戦では総合優勝、ポイントリードを8点に広げた成田選手
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「ご存知の通り2009年YZ450F(及びYZ450FM)は世界で活躍。AMAスーパークロスでジェームス・スチュワート、モトクロス世界選手権MX1でアントニオ・カイローリがチャンピオンを獲得。YZは日欧米3大タイトルの栄光に輝いたのだ。
この日欧米YZ三冠は1978年以来31年ぶりのことになる。(1987年は世界選手権500cc=ヘイキ・ミッコラ/AMAスーパークロス=ボブ・ハンナ/全日本250cc=光安鉄美がタイトルを獲得した)YSPの連帯パワーと声援が原動力となり、YZをしっかりサポートしたシーズンだった。ご声援ありがとうございました。

タイトルを決めた成田選手とチームスタッフ

各地の全日本会場で熱烈な声援を送ってくれたYSP応援団